「知足」とは、「足るを知る」とも言い、老子曰くというやつで、「満足するということを知っている人は、貧しかったとしても精神的には豊かで幸福であるということ」を意味しています。
今自分は十分に満足していることを知り、それ以上は求めないことですね。人間の欲求や欲望はキリが無い戒めみたいなものです。
精神的な病も同じです。抑うつ状態から脱するのに、私にはこの考え方がシックリきました。
焦っても仕方ない
元気を取り戻せば、またバリバリと働けたり、楽しめなかったことも心から楽しめたりするので、先ずは元気を取り戻すことを優先できました。
例えば休んでいる時、この先を考え過ぎて同じ仕事に戻りたいとか、雇用形態にこだわるより、自分の置かれた状況はさておき、先ずは体調を元に戻すことを考えた方が合理的でした。
病の克服に取り組んでいる状況を満足することで、それ以上は望まないことを意識しました。
それくらい元に戻りたかったということになります。
すべては元気になってから考えれば良くて、今の状態に満足するためにも、自分は恵まれていることを知る必要があると思います。
だから、焦っても仕方ありません。
「焦りは禁物」とよく聞きます。
「急いては事をし損じる」ということわざもあります。
昔の人は賢いですね。
そもそも日本人に生まれた時点で他国にしたら十分に幸せなのです。
罪悪感が消えなかった
「焦るな」と言われても、余計に焦ってしまう気持ちが沸きます。
「足るを知る」であれば、とてもポジティブな考え方で、落ち着ける気分になりました。
仮に他人より恵まれていることがあったら、それに罪悪感を抱く必要はなく、十分に足りていると満足感を得られれば良いと思います。
- 皆が働いている日中のこんな良い天気に、自分はベッドで寝ているだけなんて・・・。
- 外出できるようになっても、接客を受けていると意味も無く申し訳ない気持ちが沸く・・・。
- せっかく作ってくれた食事が喉を通らなくて申し訳ない・・・。
どうしても罪悪感が沸いてきて止められませんでした。そんなことを思う必要はない筈です。
運もあるのは事実
それでもまだ申し訳がない気持ちが沸くのなら、たまたま「運が良かった」とだけと思えば良いのです。
不幸も「運が悪かった」といえばその通りの部分もありますし、そもそも病気と診断され抑うつ状態に陥ったのも、運に左右されたことが影響したかもしれません。
- お金はないけど健康で良かった。
- 入退院を繰り返すけれどお金に余裕があって良かった。
どちらも同じ気がします。
この歳になると、友人知人や親戚は入退院を繰り返し、薬や食事制限で大変な思いをしている話を耳にします。
私は仕事や家族、お金や権力は全くありませんが、入院はしたこともなく手術もありませんから、そこは運が良かったでもあり、十分足りている状況だなと思えます。
当然ながら今後は私も別の病に苦しむこともありかもしれませんから、全くの他人事ではありません。
どの状況でも十分に満足感があったり恵まれている環境を客観視できれば、意外と想像よりも上手く行くことがあると考えています。
心の健康
何よりも気分が良い状態で過ごせることを望んできた人生だったので、元気を取り戻した今は失ったことを悔やむことはありませんし、変な焦りもありません。
心身に対してそれ程気を付けることなく過ごせているので、頭の中は別のことを考えることができて健康的だなと思っています。
このサイトに取り組んでいるのも、有り余る時間があるからとも言えますし、こういう経験を積んだことや書きたいことがあって書けるということでしょう。
もしもうつ病という病気を患っていない人生だったのなら、サイト作成もしていないでしょうし、足るを知ることも高齢になってからだったかもしれません。
今より良い人生だったか、健康だったのかと想像したら、同じだったかもしれません。
身体の健康は分かりやすく対処はし易くても、心の健康は自分でもなかなか対処できないことがあります。
今日はなんとか晴れ間が続いた天気でした。
今はもうそれだけで良い日だったなと思えるので、やっと心の健康を取り戻せた気持ちです。
