抑うつ状態に限らず、大変な時期に相談できる相手が居ると助かります。私もヒドイ状態の時は、まさに「助かる」の言葉通りに感じました。
友人が居ないと嘆く人もいるでしょう。仲が良いなら、話を聞いてくれるなら、親でも兄弟でも助かるはずです。
天涯孤独と言われてしまうと、気の毒でかける言葉も見つかりませんが、友人に近い人でも同じ影響を受けられると思います。
たった一人でもいいので、困った時に話を聞いてくれる人は、たとえ友人とは言えなくても居て欲しい存在です。
どちらかというと寄り添う側の人に読んでもらいたい内容です。
友達100人できるかな? 必要ないです
友達100人できるかなという歌がありました。昭和のある時期に産まれた人は誰でも知っている歌です。
振り返ると、当時は子供が多かったので、確かに100人くらいはできそうな勢いでした。
連絡先を交換するのが流行った時、システム手帳には確かに100人以上の名前が連なっていました。
でも、それは全員が友達とは言えない知り合いの人ばかりでした。
実際に連絡するのは10人も居ないくらいだったかもしれません。意味の無い連絡先集めで、コネクションのコレクションでした。(早口言葉みたい)
友人が多く居ればそれに越したことはありません。でも、逆に言えばそんなには必要ありません。
時間は有限ですから、多くの友人として付き合いを続けるのは本来は限界があります。
私は、何人かの友人達(と思っていた)には冷たい言葉や無関心な言葉、軽く考えているような言葉など、病んでいる者にとっては苦しい言葉を投げかけられました。
その人達とはその時点で連絡を絶ちました。
友人に対して苦しむのは、友人とは思えないからです。
その友人だった人も大変だったのかもしれません。恨む気持ちはありません。
友人ではなくなったことは寂しいですね。
そこまでしてくれる友人
友達が多い人は羨ましい限りです。
その中で本当に困った時、たとえば精神的に病んだ時、思い切って相談や愚痴を聞いてくれる人は何人いるでしょうか。
私は2人でした。
1人は7歳の頃からの友人なので、旧知の仲、竹馬の友、親友と言えます。もう1人は高校からの友達で、年数は異なりますがやはり親友になります。
どちらも家族ぐるみの付き合いです。
彼らは苦しい私の実情を踏まえて、何でも肯定してくれました。
食べられずに痩せてしまい、仕事もできずお金もない私をご飯に誘ってくれました。
動けない時期だったので、外食できず代わりに食べ物や飲み物を買ってきてくれました。
あるとき、一緒に出掛けても途中で気分が悪くなり、薬を飲んだら横に休みたくなってしまい、途中で引き返すのも笑顔で付き合ってくれました。
またあるときは、体調が悪いのは前提としても、離婚して落ち込んで愚痴をこぼしているのを黙って真っ暗になるまで聞いてくれました。
挙げればキリがありません。たくさん色んな対応をしてくれました。
一緒に楽しく過ごせるだけが友人ではないですよね。本当に困った時、今までと同じように振る舞えないとき、友人として何をしてくれたのか。
何も難しいことや大層なことをしたわけではなく、ただ寄り添って「そうだね」と言ってくれる人はかけがいない人達です。
先日、友人がストレスからうつと診断されました。ビックリです。私の経験よりもまだまだ軽い症状でした。
経験者としては、軽いうちに対処した方が良いと思うので、なるべく時間を割くようにしました。
何をするわけではなく、いつでも話ができるように、まるで「いのちの電話」のような立ち位置にいます。
必要なら会いに出掛けます。
何でも無いことなのですけど、サポートされた側は「ここまでしてくれるのか」と感激したものです。
言葉で返してもらえなくても、きっと有り難いと感じているものです。
今度は私の番です。
抑うつ状態から自力で復活したノウハウの1つか2つは役立つでしょう。
とにかく時間を割いてあげることが友人ではないとできないことの1つです。
皆、忙しいですからね。
誰でも陥る病気
抑うつ状態になるだけではなく、軽いノイローゼも、身体的な病気から落ち込むことも誰の身にも起こることです。
気落ちする程度でも、普段が元気であれば苦しい人もいるでしょう。
手術や入院、服薬や食事制限など、歳を重ねた分だけ友人達は身体的な病気になりました。幸い私は、うつだけで身体的には入院などはしたことありません。
精神的なことから身体にも影響が出るのは経験済みですが、友人達のように入院する病気から精神的に落ち込むこともあります。
話を聞いてもらえたり、何も言わずとも一緒に時間を過ごしてくれるだけで救われることがあります。
気を遣わせてはだめですから、それ以上の間柄であれば寄り添ってあげて欲しいと思います。
逆に何もする必要はないのです。ただ、そこに居てあげさえすれば、回復の切っ掛けになるでしょう。
