何も良いことがないのが普通、ラッキー思考で取り戻す

うつ状態は苦しいですよね。これは経験しないと分からない感情です。悲観的に、否定的になってしまうのも致し方ないのです。元気な人に理解してもらえない部分です。

私がうつ状態を克服するにあたり、マインドセットを変えました。考え方をもっと広く見つめました。

うつ状態で悶々としていた頃、あまり上手く行かない人生に陥っているわけです。離婚や離職もその1つ。頭では分かっていても、幸運(ラッキー)なことは皆無に思えている状態です。

私の場合は、悪いことの事実よりも、心身の不調が酷くツラい思いをしていました。心身がツラいから何もできなくなっている状態です。

克服の過程で、今の自分でも前向きになれることもあると気が付きました。

ありがとう

「ありがとう」という言葉は、「有り難い」から来ています。

この言葉の意味は、「有ることが難しい」という意味で「有るのは稀なこと」です。だから、ありがとうと感謝する言葉に繋がるわけです。

これは日本人なら説明がなくても理解しているか学んだことでしょう。

つまり、有ることが難しいのは、低確率だということで、ほとんどは無いことになります。これはマイナスではなく、可もなく不可もなしという状態です。

通常は何もないけど、有れば低確率で起きたわけだから、幸運なことと言えます。ラッキー!

結婚できたこともラッキーですし、仕事があってお給料をもらえるのもラッキー。うつ病と診断されて生きていたのもラッキーだし、独り身になったのもある意味でラッキーなことです。

そもそも人として産まれてきたことがラッキーです。昆虫ではないのですから。

普段は何もない。

それが普通です。

幸運は稀にやってくる

良いことは起きたら、超絶にラッキーなことです。

もし私が今より収入が増えるような仕事にありつけたら、本人の努力ではなく、すべてラッキーなことと考えるとストレスはありません。仮に収入が増えなくても減ったとしても、それが普通です。幸運なこと、有ることは難しいわけですから。

もしも努力だけだとしたら、これほどツラい世の中はありません。他人とは努力の程度が異なります。同じように努力しても足りないことは多々あります。かといって個人の能力は千差万別なので、同じベクトルで同じような努力ができる筈もありません。

自分なりの努力で構わないと思います。

あとは運の問題は残ります。これは操作するとしたら、ドジャースの大谷翔平選手のようなゴミ拾いは運を拾っているという考え方に私は共感します。

別にゴミ拾いではなくても良いでしょう。自分が運を拾うような行動をし続けていれば、いずれ運は巡ってくると考えています。

ただ、ほとんどは巡ってこない「有り難い」ことなので、期待はせずに淡々と運を拾うような言動を繰り返すのが近道なのでしょう。大谷翔平選手を観ていると、本当にそう感じます。

彼ほどではなくても、不平不満を言う前に出来ることをするしかありません。

それに良いことばかり起き続けたら、それはそれで怖い気持ちもありますよね。

平常時は何もない。けれど、何か起きたらそれは超絶にラッキー!だと感じることが出来れば、普段から感謝の念が芽生えます。それを笑顔で受け取っていたら、周りの人は助けたくなるかもしれません。

結局はそういうことなんだろうと今は思えます。

笑う門には福来たる

「笑う門には福来たる」とは言い得て妙で上手い表現ですよね。昔から真理を突いたことわざなど残っていますが、これはいつの時代も変わらない気がします。

ブスッとした人を助けるより、笑っている人を助けたいのは当たり前の話です。

ヘラヘラと笑うのとは違いますが、何をするにしても笑顔で乗り切れれば、いずれ運は巡ってくるものです。
私もうつ状態を克服するにあたり、大変だけど実践していました。やはり、良いことは起こりますよ。

徐々に取り戻す

うつ状態では、笑うことだけではなく、喜怒哀楽を表現できない状態に陥ります。まるで能面のような感覚です。

表情筋を全く使っていない気がするのです。せめて一日一回でも笑顔を作る方が良いでしょう。

うつ状態ではあまり楽しくないと感じるのは仕方ないとして(そもそも楽しめませんからね!)、小さなことで良いので僅かに楽しめたら笑顔を作ると良いでしょう。私はそれでも効果を得られました。

人によって違いますが、自分が楽しめることを1つでも増やしていく作業をしました。

小説を読むのは難しい時でも、映像を眺めることができるなら、映画を観ました。映像も難しいなら、飲食でも良いでしょう。動ける範囲で楽しめること、とても小さく取るに足らないと思われることで良かったのです。

元気になる過程がありますから、自分の心身レベルに合わせて楽しいことを続けました。

アロマポッドやお香を焚いたり、好きな飲み物を常に飲んでいたり、観葉植物に水やりするだけだったり、日向ぼっこもしました。本を読めるようになったレベルから、いくつも本を購入しましたし、洋服を新調したりもしました。

少しでも心が動くことをしたことは、回復や克服する過程で重要でした。

別の記事でも書きますが、出来るだけ身体を動かす方が良かった です。もちろん、活動した後は寝込みます。それで良かったのだと振り返ると思い出します。

綺麗好きでもないのですけど、部屋を片付けたり掃除することは、身体も疲れるし、綺麗になった後はスッキリする分だけ心は軽くなった気がします。これは今も実践していて、ちょっとでも気が重くなったら、直ぐに掃除に取りかかります。窓を拭いたり掃除機をかけたり。

今は元気ということもあって、何をするにも心だけの問題ですから難しくはありません。
でも、身体が参っているときはやらなくてもOKで、むしろ寝転んでいた方が回復に寄与します。

特効薬は無いが・・・

うつ状態からの回復に特効薬はありません。今後は分かりませんが少なくても私は経験していません。

どれだけ時間をかけられるかは重要かもと思うようになりました。

つまり、急激に良くなるようなことは逆に無理で、徐々に加速していくような時間のかけ方が、結果的に早くうつ状態を克服する気がします。

例えば、時速100キロがゴールだとして、静止している状態から加速するのに、80キロくらいまでは徐々にゆっくりと確実に加速していく方がうつ状態に戻らない気がするのです。

私だけの感覚かもしれませんが、焦らずに加速することは常に気を付けていました。もう失敗する猶予は残されていないという焦りはあるからです。

焦りがある中で焦らないもどかしさは今もあります。

でも、苦しいうつ状態から抜け出せるなら、急がば回れの考え方がしっくりきました。

克服するまでに失った時間は膨大だけど、焦って立ち回っていたら、未だにどうなっていたのか検討も付きません。

特効薬がない代わりに、うつ病と診断されても確実に克服できるものだと経験者として確信しています。

そもそも病ではなく、うつ状態に陥っただけですから、その状態から離脱できれば薬は要らないわけです。
——この辺は別の記事で書いていきたいと思います。

常にラッキーな考え方なら、普段は何もないのが当たり前なのですから、そもそも苦しむ必要もない。そんな気がします。

タイトルとURLをコピーしました