気にしないように生きる

私は思考が両極端になってしまう人です。そういう意味では愚かなのは自覚しています。ただ、うつ状態を克服した今、両極端な考えでもなくなってきました。

平常心や平成を保つことができればと、うつ状態のときは考えていました。気が急くのが常だったからです。自分の心身状態をいつも気にしていて、サラリーマンとして、家族持ちとして、親として振る舞うことはただせさえ難しいのに、そもそもうつ状態でしたから、いつも気が急く状態だったのです。

思い返すと、私のいう平静を保つことや平常心は、自分の健康(心身の状態)を心配している時点で無理がありました。

その時に思ったのは、”知らぬが仏”を良くない意味で自分を揶揄してみると分かります。無知だなと嘲笑したくなる気持ちです。

でも、知らない間は確かに気に病むことはありません。

一方で、心身も健康で、常に前向きな考えで、他人にもおおらかにに接することができる懐が広い人は、常に平常心で居られるのだろうと思ったのです。あまり居ない素晴らしい人物ですね。

両極端な状態という発想は、正しいかどうかは別にして、簡単に想像することができました。

煩悩を減らす

では、自分はどちらの方が近いのかと考えたら、知らない方、無知、世間知らずの方が近いと考えました。うつ状態では色々なことが難しいのは事実でしたし、おおらかになるのは気が遠くなるくらい先の気がします。

うつ状態を元に戻す、乗り越えることは最優先として、更に加速させるために”何も知らない自分”、”無知な自分”にする方が圧倒的に近道です。

なぜこんなことを考えたかというと、”うつ状態だったから”という身も蓋もない結論だったわけですが、”無知は罪”という意識が強かったからです。

少なくても知る努力はした方が、なにかと自分に良い結果をもたらしてきた経験則からでもありました。

果たしてそうだったのか?

一点突破

今現在は葛藤が残っています。健康になった反面、また失った物も多いからです。

それでも当時、うつ状態を克服していた期間は、世間知らずに向かいました。”知るが煩悩”のように、ストレスを抱えたくなかったからです。

最早、一点突破でした。他に余裕がない状態でしたから、余計な情報を遮断しました。

知った方が得でも、知らない方が気楽なことが多い世の中です。
ストレス=煩悩、になるくらいなら、知らないままの方が幸せなことは確かにあります。

世間とは無縁

うつ状態を克服した今、世間からだいぶズレてしまった自分が見つかります。一般的という言葉とは無縁な人生になってしまいました。

世間からズレればズレる程、私自身は平常心を保つことができて心身共に健康なのです。もう二度とうつ状態に戻りたくないことを考えると、いわゆる一般的な生き方はできそうにありません。

若い頃にうつ状態に陥って、通院と服薬で酷くなり、長い年月をかけて人生を壊してきましたが、そもそもうつ病だとされた当時から既に世間からはズレた生き方だったわけです。今更別にという感情もありますね。


良くないと思う人は世間かズレないように生きてください。その方が助けてくれる人も多いのは事実でしょう。世間から外れると実生活を営むのに大変なことは間違いないでしょう。

でも、私はうつ状態からどうしても抜け出したかったから、敢えて世間からズレる生き方をしてきました。

全てを得ることは難しいのです。うつ状態を克服できた、平常心で居られる時間が多くなった、それだけでだいぶ救われています。今、心は静かなものです。

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